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自分を許す、認める、(自分←自分)

自分を許す、認める、(自分←自分)

見たくない自分も見る

「見たくない自分を見る」とは、自分の弱さ、愚かさ、醜さ、狡さ、残酷さなどを見ることです。

誰でも、思い出したくない過去、つらかったできごと、他人にしてしまった酷いこと、恥ずかしくなるようなこと、などの体験があります。

時が経つと「弱かった」「甘かった」「まずかった」と大雑把に思うのですが、「そんな自分がいた」ということをしっかりと認めることがとても大事です。

単に過去の自分を否定するのではなく、自分の嫌な部分に向き合うことで、「人間はいいところだけではなく、弱さ、愚かさ、醜さ、狡さ、残酷さなどを持っていていい、そうやって生きているのだ」と受け入れることが大切です。

なぜなら、誰しもがそういう部分をもっているからです。

すべてのものには表と裏、光と影がある

すべての物事には、コインの裏表のように、プラスもあればマイナス部分も存在します。それは人間についても同じです。

自分自身のなかにも表があれば裏があるように、ダメな自分、できない自分もいれば、素晴らしい自分、できる自分も存在していて、すべてを含めて自分という人間を構成する要素になっているのです。

でも、弱い自分、悪い自分、嫌いな自分、認めたくない自分、などのネガティブな部分についてはどうしても排除したくなります。

他人からは、ポジティブで前向きな姿勢や言動、行動が評価されることが多いので、ネガティブな部分はなるべく隠してポジティブにならなければとつい頑張ってしまう人も多いかもしれません。

しかし、「マイナスを消すからプラスが出てくる」というものではなく、どちらかだけを消すということは、そもそもできないのです。

ものごとにはすべて表と裏、光と影があり、表裏一体である、マイナスもあればプラスもあるのが自然であたり前、という自然の摂理をまず受け入れることが大切です。

ダメな自分、できない自分を受け入れても大丈夫

ダメな自分やできない自分を受け入れてしまったら、そこで自分はダメになる、できなくなると思いがちです。

 ダメな自分やできない自分を受け入れる事は、弱くなることではなく、むしろこれまでのすべての自分をまとめて受け止めている、スケールが大きくなっている、あらゆる経験をしている、という安心感につながっていくのです。

完璧さを求めず柔軟に考える

完璧主義でいると、ほんの小さな失敗でも自分にとっての大きなダメージと捉えてしまってくよくよしてしまいます。

そしてさらに、慎重に、臆病になるため、前にも増してやるべきことが進まず、なかなかゴールにたどりつきません。

完璧さを求めなければ、追いつめられた心が楽になり、自分の中の無力感、罪悪感などから解放されます。そして、他人に対しても完璧を求めないようになり、柔軟性がついてきます。

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