基本的な時間の性質
第三章 基本的な時間の性質
【1】基本的な時間の性質を理解する
もう一つ大切なことをお伝えします。それは、基本的な時間の性質を理解することです。これらは誰もが知っていることですが、普段それほど意識をしていないことが多く、ダンドリをとる時に少しだけ意識してみると格段に効果が上がります。これもホームページや「7つのトリセツ」などでくり返しお伝えしているので、あわせて引用します。
★時間は命と同じである
私はいつもみなさんに「時間は命と同じである」と伝えています。
それは「生きている間しか自分の時間はないから」です。
「みんなの時間」「時計の時間」(物理的な時間、宇宙の時間、普遍的な時間)はずっと存在しています(?)が、「自分にとっての時間」「自分が自由に使える時間」はこの世に生まれた瞬間から、あの世に旅立つ瞬間までの間しかないのです。
しかも、その時間のうち、「ものごころ」がついて、自我が目覚めた時から、心身ともに元気でいられる間しか「実質的な自分の時間」はないのです。
さらに、その間でも「眠っている時間」や「仕事している時間」など自由に使えないが多くあります。
私たちが本当に自由に使える時間、思ったように過ごせる時間は、人生のうちどのぐらいあるのでしょうか。一度考えてみてください。
時間は命です。
★時間は伸び縮みする・・・心・身体・環境で時間の感じ方が変わる
「時間は伸び縮みします」
アインシュタインやホーキング博士の理論の話をしているのではありません。
みなさんもよく経験することだと思いますが、自分の気持ちや置かれている状況によって、時間の感覚が伸び縮みし、「もうこんな時間」と感じたり、「まだこれだけしか経っていないのか」と感じたりすることがありませんか。
これには諸説あり、様々な分野の研究者たちがいろいろな見解を出しています。
たとえば、「時間への注目の仕方により、時間の流れの感じ方が変化する」「大人と子供の時間の感じ方は異なる」「病気のときは時間の流れがゆっくりしているように感じる」「命の危険にさらされているときはスローモーションのように感じる」「動物は身体の大きさにより呼吸や心拍の数が異なり、それにより時間の感じ方やまわりの動きの見え方、寿命が異なる」といったような研究がなされており、学会でも様々な角度から活発に議論されています。
経験的にもわかると思いますが、時間は自分が置かれた状況で「ものさし」自体が伸び縮みするので感じ方が変わるのです。忙しい時とゆとりがある時、朝と夜、平日と休日など、その状況により「ものさし」が変わったように感じ方が変化します。つまり主観的には時間は伸び縮みするものなのです。
そのことを理解していれば、それを逆手にとって気持ちや環境・状況を調整し、ゆとりある時間を過ごすことが可能となります。そして、準備、ダンドリ、手順などをうまくおこなうことにより、ある程度自分自身の時間の流れを自在にコントロールすることができるのです。 時間と心にゆとりが持てるとこれからの人生がきっとかわってきます。
★時間は誰にでも平等
時間は誰にでも平等…「いつでも」「どこでも」「誰にでも」物理的な時間は一緒
忙しい人がいたり、暇な人がいたり、「時間はみんなに平等じゃない」と思うかも知れませんが、単純に物理的な時間ととらえると、1日、24時間、1440分、86400秒は誰にでも平等に与えられているものであり、どこにいても、どんな状況でも平等に与えられています。
仕事中でも休日でも、旅行中でも、(あるいは冒険中、洞窟に閉じ込められていても、大空を飛んでいても、草原を自由に駆け巡っていても、)病気でも、元気でも、大人でも、子どもでも平等です。
つまり「持ち時間」は一緒なのです。その日がくれば、そして生きてさえいれば「1440分」が自動的に与えられます。
たとえば1日1440円の給料やお小遣いをもらってどう使うかを考えるようなものです。その中から税金分として、睡眠、食事、身支度、風呂、トイレなどの生活時間、仕事、家事、育児、通勤などのワーク時間が差し引かれ、それを除いた時間から家族との時間や個人の時間を捻出していくことになります。
1日のうち使える「可処分所得」は人により、状況により違うので、それを工夫するために使うのが時間術なのです。いかに使える時間を増やしていくか、そしてその時間を有効に使うかが大切になってきます。
ただし、困ったことにこの1440分の時間は翌日に繰り越しがきかないという性質を持っています。積極的に使わなくても「自動引き落とし」のように刻一刻と差し引かれていくのです。
ですから、「1日の持ち時間は1440分である」と強く意識してください。
また感覚として、1日を「24時間」と考えると10分がたいしたことないように感じますが、「1440分」と考えると同じ10分でも貴重な時間に感じられ、自然と大切に使うようになるので、今まで「1日は24時間」と意識していたと思いますが「1440分」と考えるようにしましょう。
自分の時間の感覚や目盛りを少し動かしていくと、時間の流れに敏感になり、より時間に注意が向くことによって、もっと時間が大切に思えてくるのです。
たとえば朝6時に起きる人は、6時間分、つまり360分、さらに言い換えれば1440円のうち360円分をすでに差し引かれているということになります。たいへんなことですよね。
休みの日の朝、あなたは何時に起きていますか。朝寝坊をしていませんか。時々起きたらもうお昼なんてことはありませんか。
時間はだれにでも平等に与えられますが、繰り越すことはできません。
大切に使いましょう。
★一度しかない時間、二度と戻ってこない時間
一度流れてしまった時間、過ぎ去った時間は決して戻らない
私たちの生きているこの世界ではあたりまえのことですが、一度流れてしまった時間、過ぎ去った時間は決して戻ることはありません。
映画や物語の世界によくある「タイムマシンで戻って…」などというSF的なことではなく、過去に戻って「やり直せない」「元には戻らない」という意味でとらえてください。
ゲームの世界では、リセットボタンを押したり、セーブしたところからやり直ししたりできますが、現実の世界ではそうはいきません。
言い換えれば時間は「ワンチャンス」ということです。だから真剣勝負なのです。
映画や小説の主人公やゲームの主人公になったと想像してみてください。ピンチなった時、敵にやられそうになった時、もっと良い未来の選択肢に気づいた時、あなたはどうしますか。
そして、タイムマシンやゲームのリセットボタンがいつでも自分で自由に使えるとしたら、あなたはどうしますか。
でも、一度使ってしまったら、その時その時を真剣勝負しなくなってしまうのではないでしょうか。
「またやり直せばいいや」「また今度でいいや」と思ってしまい、取り組み方が甘くなり、何度やっても良い結果に結びつかなくなります。
それよりも限られた時間をしっかりと意識してとらえ、自力で精一杯ゴールに向かいましょう。
『タイムマシンで戻った先の「過去」は自分にとっては「今」なのである。』というパラドックスがありますが本当に元に戻ってやり直すことはできません。
ですから「今」を大切に生きましょう。過去は変えることができませんが、今動けば未来が変わります。
★命には限りがある
自分の時間は減る一方、決して増えることはない。
人生の残り時間は減る一方・・・決して増えることはない
すべての人にあてはまりますが、「生まれてから今まで生きてきた分」だけ必ず自分の寿命が短くなっています。
言い換えれば「使った分だけ持ち時間が減っている」ことになります。
果たして全部でどのくらい自分の持ち時間があるかはもちろん自分自身ではわかりませんが、少なくとも確実に減り続けているのです。誰もがそうです。
「命のろうそく」のお話をご存知ですか。
人にはそれぞれ生まれてからこの世を去る時まで、与えられた時間があって、寿命は自分の「命のろうそく」が燃え尽きるまでの時間とされています。
自分の「命のろうそく」は自分では見ることができないので、果たしてどのくらいの長さかはわかりませんが「命のろうそく」はどんどん燃えて確実に短くなっていく一方です。
だからといって、『自分の「命のろうそく」はあとどれくらい残っているのだろう』と毎日「うれいても」どうにもなりません。
また、自分の「命のろうそく」の長さ、つまり残りの寿命がわかってしまったら、そのことばかり気になってしまうでしょう。「どうせあと少しだから」とやる気がなくなってしまう人もいるでしょう。
だからむしろ、わからない方が幸せなのかもしれません。
いずれにしても、確実に減り続けていることには違いないのですから、「今、そしてこれから」をどう生きるか、どう時間を使うかに着目した方がよいのではないでしょうか。決して増えることはありません。
たとえその日一日、何もしなくても全員が平等に減り続けるのですから、積極的にそして前向きに使った方が、そして同じ使うなら「楽しく」「有効に」使った方が良いと思います。
1日24時間、1440分の持ち時間は次の日には持ち越せないので、今日使うしかないのです。時間は物理的に増やすこともできませんし、未来にとっておくこともできないのです。
ですから、今を大切に生きましょう。
★自分の時間はいつ終わるかわからない
自分の時間はいつ終わるかわからない…だから真剣勝負
「自分の時間はいつ終わるのかわからない。」これもあたりまえのことです。もう少し細かく言えば、「自分が使える時間は生きている間だけ毎日平等に与えられている。そして生きていれば毎日支給される。でも、それがいつ終わってしまうのかは誰にもわからない。」ということです。ある日突然予告もなしに急に終わってしまうのです。
自分の時間が終わる瞬間、あるいは終わる直前に「やっぱりあれもしたかった、これもしたかった」「あれをやり残した」「やっておけばよかった」などと考えても悔やみきれません。走馬灯のようにあれこれ想いが巡るでしょう。ですから日々真剣に生きなければいけないのです。
じつは、私は生まれた時に、ほとんど仮死状態に近い状態でした。命が助かった時、家族や親類からは「儲けものの命」「二度授かった命」などと言われました。
私自身「この幸運にも与えられた大切な命」を真剣に生きたい、また大切に生きざるを得ないと考えています。
そして、せっかく拾った命なら、自分のためだけに使うのではなく、まわりの人も幸せになっていただきたいと思ってこの本を書いています。
仮に事故や病気で不自由していても、現在の生活が苦しくても、今使える時間があまりなくても「いつ終わるのかわからない命」を大切に使ってほしいと思います。
なぜなら、今私たちは生きていて毎日必ず1440分の時間が与えられる権利をもっているのですから。
『ミスター定時のダンドリ時間術』岩下敦哉著 より引用